アドラー心理学、個人心理学とは、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)が創始し、後継者たちが発展させてきた心理学の体系のことをいいます。
19世紀生まれのユダヤ系オーストリア人心理学者、アルフレッド・アドラー。「自己啓発の父」として注目されているその思想を、『嫌われる勇気』の著者でアドラー心理学研究の第一人者である岸見一郎氏が明快に講義する。アドラー(1870-1937)は、かつてはフロイトとともに研究していたのですが決別し、独自の「個人心理学」を構築した人物です。その学説はフロイト理論とは大きく異なり、たとえば苦しみの原因を「トラウマ」に求めません。いや、アドラーはそもそも原因を求めることすら否定します。
どういうことなのか、これからの説明で理解していただければ、あなたの人間関係も一変することでしょう。
アドラー心理学は「人生の嘘」を否定する
たとえば、「結婚は二人だけの問題じゃない。両家の両親に祝福されないと」という女性。アドラーはこのような姿勢を否定します。なぜなら、これは自分の人生の選択を他人のせいにする姿勢だからです。この女性は、結婚生活が失敗したら親のせいにするでしょう。つまり、はじめから責任転嫁するつもりなのです。
アドラーはこれを「人生の嘘」と厳しく批判しています。もしあなたが「人生は複雑で大変だ」と考えているなら、この「人生の嘘」に陥っている可能性があります。
結論から言いましょう。あなたは自分の人生を、自分の責任だけで選択しなければいけません。そうすればすべてがシンプルになります。そうできず人生を複雑にしているのは、ほかならぬあなたなのだ、と認識してください。
そうはいっても、私には過去にこんなトラウマがある。だからこうするしかないんだ。そんな反論も聞きます。自分のややこしい選択には原因がある、ということですね。
しかし、アドラーはこうした「原因論」を否定します。トラウマは嘘なのです。もちろん、過去の出来事が今の自分に影響していることはあるでしょう。ですが、何かの行動を過去が決定した、ということは断じてありません。
すべての行動には目的があります。つまり「目的論」です。何かの行動に、たとえばトラウマのような原因を求めるという思考は、この目的を隠しているのです。
たとえば、「怒る」という感情は目的があって作り出されたもので、何かの原因によるものではありません。猛烈に子供を叱っている母親は、その行為で子供を屈服させたいという目的があって怒っているのです。子供が不始末をしでかしたという原因で怒っているのではありません。
その証拠に、叱っている母親が、担任の先生からの電話を受けた瞬間、急に上機嫌な声で受話器に話しかけた様子を覚えている人も多いでしょう。つまり、母親は感情に支配されてはいなかったのです。
恥ずかしい話ですが、かつての私自身も、ある職場で、「ここは私がいないと回らないから」という原因を捏造(ねつぞう)し、上司と合わないことがわかっていたのに、3年間も勤めたことがありました。
「頑張っている自分を認めてほしい」という隠された目的を持っていたのです。その欺瞞(ぎまん)は、私が体を壊して辞めるという結末を呼び込んでしまいました。
あのころ、私はガマンしていたのかもしれません。ですが、私の例でわかるとおり、ガマンする必要はありません。なぜなら、あなたのガマンは相手に伝わらないからです。
勝手なもので、ガマンしている人に限って、やがて「こんなにガマンしてるのに、わかってもらえない」と不満に思うのです。これは不健康ですよね。だから、ガマンするぐらいだったら、思いをきちんと言ったほうがいいです。
怖い上司にひどいことを言われた。でも言い返せない。ガマンしよう。しかしながら、そのガマンは上司に伝わりません。上司は相変わらずひどいことを言うでしょう。あなたはそのような事態を好んで作り出しているのです。
アドラー心理学を活かしてイヤな上司に立ち向かう
アドラーの考えかたでは、「怖い上司」はあなたが作り出している、ということになります。あなたとの関係でだけ、そのおじさんは「怖い上司」になることを余儀なくされているのです。だからあなたがすべきことは、自分の対応のしかたに改善の余地がないかを考えることです。かりに昨日、上司にひどいことを言われたとします。だけどそれは昨日の、終わった話です。これからもずっとそう言われるわけではありません。相手がどうであれ、こっちが深刻になってはいけないのです。次に上司の前に立ったら、「よし、今日はそう来るか」とか、楽しんでやるぐらいの気持ちでいいと思いますよ。
あなたが普通に上司に接すれば、やがては上司も「この人間に対しては、ほかの人に対してするように、特別な自分を見せなくてもいい」と気づくようになります。
そもそも偉そうにする上司は、劣等感がすごく強い人なのです。だから、「部下に普通に接したら、馬鹿にされてしまう」と考えてしまうのです。こうした人は、部下の側が普通に接すれば変わるかもしれません。
アドラーは、すべての人間関係はヨコの関係である、と考えます。逆に、無能な上司やその上司を怖がる人は、タテの人間関係を自明のものだと思っているのですね。それを崩すのが怖いのです。だけどタテの関係を崩して、普通のヨコの関係を築くことは可能なのです。そのために必要なのは、勇気だけです。
自分の上司は話も通じない理不尽きわまる人間だ、という人もいるでしょう。アドラーはそんな人のために、「課題の分離」という重要な考えかたを用意しています。
私たちは、何かを選択するとき、常に「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他人の課題を分離しなければなりません。その方法はシンプルです。
「その選択の結果、責任を最終的に引き受けるのは誰か?」
を考えるのです。そして他人の課題には介入せず、自分の課題には介入させない。そうすれば、対人関係にかかわる問題は一気に解決します。
たとえば、何をしようが怒鳴るだけの上司がいるとします。ですが彼の理不尽な感情は、あなたの課題ではありません。上司が自分で処理すべき課題です。あなたがすべきことは、自分ができる仕事をきっちりこなすことのはずです。上司の感情に対応することは、あなたの仕事ではありませんよね。
自分でできることとできないことを見極める。アドラーはこのことを「肯定的なあきらめ」と表現しています。
逆に、上司の理不尽な命令のままに働いて、結果として大トラブルが起こったら、あなたはその責任を引き受けるのですか。きっと上司のせいだ、と思うことでしょう。
そんなあなたは、原因論に縛られ、仕事に失敗する口実として、上司の存在を用意しているのです。これを目的論に即して考えれば、あなたは「真っ当な仕事ができない自分を認めたくないから、理不尽な上司を作り出している」ということになるのです。
そのとき、あなたは上司という言い訳を用意して責任転嫁をする、「人生の嘘」に陥ってしまっているのです。
アドラーの教え 「今、ここ」を生きよう!
あなたの人生に対して、他人に責任を負わせてはいけません。同様に、過去の自分も他人です。「あのとき決めたから」というのも、過去の自分に責任を負わせて逃げる、「人生の嘘」です。過去は現在を縛るものではないのです。
同様に、未来で現在を縛るのもいけません。「いつか本気を出す」と、決断を先のばしにする人がいます。この人は「決断したくない」という目的を隠しているのです。決断したくないのなら、誰かが指示してくれるのを待つしかありません。だけど、人に決められた人生を送って、何が面白いのでしょうか。
もし選択を迫られたら、より後悔しそうな選択肢を選んだほうがいい。だって、どっちにしたって後悔するに決まっているんですから。でも、何もしないで後悔するのは「人生の嘘」に陥ることです。そうではなく、後悔するような選択肢を、自分で引き受ける覚悟を持つのです。後になって間違いに気づいたら、進路変更すればいいだけの話です。大事なのは、責任転嫁しないということです。
つまり、あなたも私も「今、ここ」を真剣に、全力で生きるべきなのです。
過去に何があっても、「今、ここ」には関係ありません。未来に上司が怒るかもしれないなんてことも、「今、ここ」で考えるべき課題ではありません。
隠された目的を直視して、「人生の嘘」を振り払い、勇気を持って責任を引き受け、ヨコの人間関係において周囲に働きかける。そうすれば、あなたも世界も、すべてがシンプルになる。アドラーは私たちにそう教えているのです。
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